書籍・雑誌

雑誌。

Zashi 私は、昔からの活字中毒なのだが、ここ数年は、年をとったせいなのか読む本や雑誌が変化してきている。

まず、この狭い家に住むようになってからは特に物を取っておくことが許されないので、買う前に①本当に買ってまで読む必要があるのか②良く考えてみたら別に読まなくても死なないから大丈夫なのか、を検討しなくてはならない。そしてそれでも買って読みたい!という結論に達した場合は、①永久保存(といえば大げさだが)するつもりで大事に読むのか②読んだら捨てるかあげるか売るかという購入後のことまで考えなくてはならない。そして永久保存するつもりなのであれば、その本や雑誌を保管するスペースを見つけなくてはならない。

家を常に綺麗にしていて、私のように物をゴチャゴチャと持たない人にとってみれば、”(本に限らず)物を買う時にそんなこと考えるのなんて当たり前!”ということなのかもしれない。やっぱり私は、本に限らず所有しているものが圧倒的に多いような気がする。そしてやはり旅支度も下手だ。足りなくて後悔するより、何でも大目に持って行って殆ど使わずに持って帰ってくる方が安心するタイプだし。定期的に自分の持っているものを出してみては、捨ててみたり、売ってみたりしているのだが、それでも物は増えていく。物の多さは煩悩の多さというのを何かで読んだ気がしていて、それを気に掛けてはいるのだが、これまた、買わずに後悔するより、買って後悔したいタイプなのだ。

何だか、書こうと思っていた雑誌の話しからそれてしまったみたい。昔まだ実家にいて自分の部屋を与えられていた頃は、何の考えもなくコンビニだの駅ビルにある本屋だので仕事帰りにfugaroだのspurだのやたらと広告やファッションページの多くて重くて場所をとる雑誌なんかを買って大して読みもせずその内に捨てると言うことを繰り返していた。それが今では、そんな仕事帰りに無駄遣いをしてミニストレス発散をすることも許されず、それでなくても日本の雑誌は、高くて貴重であるからして、捨てるために買うということは出来なくなった。それで買うときには熟考せざるを得ないのだ。それでもパリはまだjunku堂もあるしブックオフもあるから有難い。

折角一冊の雑誌に15ユーロ近く出すのであれば、全体の4分の1の記事を読むために買うものより4分の3読めるものを買おうと思うのは貧しい主婦の思うことだ。そんなわけで、もう昔買っていて大して読んでもいなかったファッション系のものを買うことは、ほぼ皆無となってしまい、最近は、上記写真の様な読むところが沢山だ!というような、おばさんにはおばさんのと言う感じの雑誌を読んだりしている。

ただ、’暮しの手帳’は、パクちゃんがパリに遊びに来てくれた時に持ってきてくれたオサレな雑誌セレクトの内に含まれており、初めて読んでみたのだが、かなり面白くてハマってしまった。私のイメージでは、50代くらいのおばちゃんが読むようなものだと勝手に思っていたのだが、それが全然違うのだ。何だか編集長の名前を見た事があるような気がするな~と思っていたら、中目黒でオサレな本屋をやっている人だった。どうりで。

婦人公論もかなりオモロい。離婚ネタや病気ネタ等、生活に色々参考になるのが多くfigaroなんかと比べたら電車の中や人前ではちょっと恥かしくて読めないけど、家でじっくり読むと本当に読みどころ満載なのだ。やっぱり最近は、’見る’より’読む’方が面白いような気がしてならない。また5年くらい経ったら、今度はまた違うものを読んでいて、違うことを言ってるんだろうか。

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おさむ。

原宿の猫通りのパンクな服の店は、999ではなくて666だったのではないか。そういえば文化屋雑貨店なんてまだあるんだろうか。などと秋の夜長に考え始めたら眠れなくなってきた。

パリはもうすっかり秋だ。ウカウカしてるとマロニエ(っていうの?)のイガを踏んで大変だし、落ち葉が舞っている道を緑の服を来たお掃除マンがお揃いの緑のほうきでダルそうに掃除をしていたりする。日本だったら、きんもくせいの良い匂いがどこからともなく漂い、空は高く、空気は澄み切っているんだよな~。秋の匂いというのは独特だ。これから到来する長くて暗くて寒い冬を思うと、このつかの間の秋を満喫しなくてはとつくづく思う。毎日毎日少しづつ日の入りが早くなり、冬は確実に近づいて来ているのだ。。。

先日、短大時代の友達が結婚したという嬉しいニュースがあり、早速結婚祝いを探すことにした。とは言え、何度もクリスマスネタで書いている様に私はプレゼントを探すのが苦手であるので、失礼を承知で友人に何が欲しいかをずばり言ってもらうことにしていた。そんな訳であとは廻る店の候補を幾つか選ぶというだけだったので大分楽であった。

夫に赤子を預け、出産後初めてパリの繁華街(?)ともいえるラファイエットとプランタンという2大デパートのあるオスマン通りまで行って来た。まずは、この二つのデパートを見て、ダメならボンマルシェ、それでもないなら個人商店へと思ったのだ。ラファイエットで手頃なものを見つけ、折角なので、久しぶりにパリの日本人街と言われるサンタンヌ界隈をうろつくことにした。

ブックオフに来たのは、まさに入院前日の5月22日以来であったので不思議な気分だ。出産前に”もう当分来れないだろう。。。”と何冊か残っていたもう読まない本を売りに来たので日付に弱い私でも良く覚えている。久しぶりに文庫本の背が並ぶ本屋に行き大興奮だ。それから食料品やで(またしても)せんべいやら柿の種などの秘密のおやつをこっそり買いこみ、もう一軒の本屋JUNKU堂で太っ腹に雑誌を2冊も買い、とどめに心のオアシス”十時屋”で毎回同じく夫にはとんかつ弁当、自分にはからあげ弁当を購入し、持ちきれない程の荷物を抱えウキウキで家に戻ったのだった。出来ればもっとウロチョロしたかったが、一度に沢山のことをしようとしてもダメなのだ。一生遠出が出来ないわけではなし、少しの辛抱だ。

ブックオフで岩波文庫から出ている太宰治の”ヴィヨンの妻”という文庫本を買った。太宰治の作品は、何だか胡散臭いというか、読んでいる自分に酔いしれるための本というか、何だか勝手にそんなイメージを持っていて、恥ずかしながら読んだことがなかったのだが、何故かこの本は何となく読みたい気分にさせられたのだ。しかも赤子がいる今となっては、何度も細切れに読まざるを得ないので、本格的長文ミステリーなんていう本は読み返しすぎて訳がわからなくなるので適していない。その点、短編が幾つか入った薄めの文庫本というのは最適だ。この本もサラっと読めて面白かった。

何故”ヴィヨン”の妻なのか良くわからないが、フランスにはフランソワ・ヴィヨンというアウトサイダーな詩人がいた。この人の作品をわかりもしないのに、セーヌ川沿いのブキニストで詩集を見つけてそれ程高くもなかったので購入した。案の定(笑)一度も読んでいないのだが、たまたまネットで本を買う時にこの詩人の作品訳が出ているようなので買ってみた。今配達を待っているところでちょっと楽しみだ。日本語ならいくら不精な私でも読めるだろう。今の家からそれ程遠くないところにこの人の名前が付いた通りがある。なんていうかヴィヨンづいている(笑)のだ。

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雑誌。

今日は朝から天気が良く、外をブラっとしてみた。雲がなくなり、太陽がむき出し(?)になると結構な日差しで、ウカウカと日焼け止めクリームを塗らずに外に出てしまった私は後悔することしきり。

先日、フランスの有名な俳優、ジェラール・ドパルデュー(あってる、カタカナ表記?)の息子ギヨームが先日37歳の若さで亡くなり、今日78県の教会で告別式(っていうの?)があったらしい。何だか悲しい一生だったね、この人。

そんな訳でこの人に関する雑誌でも読みたいなと思ったのだが、前にも書いたように、この国の本屋で困るのは立ち読みが出来ないこと。まぁ、キオスクであれば日本でも勿論立ち読みは出来ないけど、例えば本屋に行き、500円くらいする雑誌であれば読みたい記事があるかどうか位、事前に確認したいではないか。

殆どのフランス人はキオスクや本屋に入って2秒以内に”xxという雑誌下さい”と店員に言うか、いつも買ってるから置いてある場所は知ってるよといわんばかりに、目的の雑誌をわしづかみにしてお金を払うことになり、私の様に、別に”この雑誌を買いたい!”という目的もなく、”何となく雑誌を読みたい”とか、”ペラペラっと中身を見て面白そうなら買おう”などというふざけた態度の人間はいないらしい。かと言って、店員に”ギヨーム亡くなりましたね。何かお勧めの雑誌ありますか?”と聞くのもどうかと思うし、恥ずかしくてそんなこと言えないと思う。

そんな時、役に立つのが先日書いたシャルル・ミッシェルのモノプリ2階の雑誌売り場。ここでは、毎日沢山の人が立ち読み祭りをしている。貧しいというか何というか、衝撃を受けるのは、ジジ・ババが老眼鏡やら虫眼鏡持参で新聞の株式欄などを立ち読みしていること。雑誌はともかく、新聞くらい買えないのか?買わないのなら雑誌の展示棚の上に思いっきり全面広げて読むのはやめてもらいたいものだ。”ここはお前の家なのか?”と聞きたくなるくらいだ。せめて申し訳なさそうに売り場の隅で四分の一サイズにしてこそっと読む位にしてもらいたい。

今日は、モノプリな気分(?)ではなかったので、もう一つの穴場、TGV(新幹線)の発着がある大きな駅のキオスクに行くことにした。家から一番近いのはモンパルナスの駅なのだが、ここには、構内に5つか6つ位キオスクがあり、どこも比較的大きいので、街中の本屋やメトロのキオスクみたいに入った途端に店員に”何をお探し?”と聞かれて、”あっ、あの~”みたいなバカ問答に陥らずに済むのである。そんな訳でゆっくりと”この雑誌、買おうかどうしようか”という判断をすることが出来る。じっくり吟味してVSD(金土日)というどちらかといえば男性向けであろうと思われる週間雑誌を1冊購入。これだって1冊2.60ユーロもするのだ。やっぱり私としては中身も見ずに買うというのは難しい。

この大きな駅のキオスクというのは、日曜でもいくつかあるうちの必ず1箇所は開いているので、毎日新聞を買う夫が買い逃したり、売り切れていたり、はたまた祭日でいつもの店が開いてないなどという時には非常に便利でもある。というか、日本だったら雑誌1冊買うのにこんな苦労はないけどね。日曜も開いてるし。

今朝、ニュースでプランタンの従業員が日曜・祝日営業が多すぎるということで反対のストをしているというのを見た。確かにこの国は基本的に日曜営業というのはいくつかの条件を満たさないと許可が下りないのだが、最近は稼ぎ時のクリスマスがある12月以外でも売り上げを伸ばそうと、秋のセールだの何だのと祝日や日曜返上で開店していたりすることが多いらしい。確かに従業員にとっては大変だろう。働く母も多い国、家族と過ごす時間がなくなると訴える女性もいた。でもね~、やっぱり便利だと思うな、日曜も開いてたら。日本は便利すぎちゃって比べようもないだろうし、それが良いことなのかどうかはわからないけどね。

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蟹工船。

Andre 相変わらず日々のモチベーションは上がらない。それどころか下がってるくらいだ。

そしてそれを駄目押しするかの様に小林多喜二の”蟹工船”を読んで又暗くなってきた。この本、何かで今日本の労働者に大人気(?)みたいなことが書かれているのを見かけて気になっていたのだが、プロレタリア文学とか何とかっていうのがイマイチ共感できず、買って読むまでには至らなかったものだ。先日、ブックオフ(またかよ!)をブラついていたら発見。岩波文庫のものは魅力的なものがあれば迷わず買うことにしているので、特価品である2ユーロものではなかったが、買ってみた。

短い話なので、あっという間に読みきってしまうのだけど、ほんと暗いね。なんか寂しくなった。蟹缶ってそんなに大変なものだったのか~とつくづく思ったのだった。そういう”大変だろうな~”シリーズとしては、甘栗むいちゃいましたとか、珍味イカのくちばしとか、なんか部分的なものだけを集めたものだろうか。そういえば、コーンの缶詰とかも人が一生懸命ポロポロととうもろこしの身をはずしてるのだろうか。

例えば栗などは、きっと工場みたいなところで、白い帽子を被ってマスクをしたおばちゃんが一日中、ツメを黒くしながら栗をむいてはベルトコンベアーに流し、休憩室にはキレイにむけず失敗した栗が食べ放題になっていて。。。とかそういうイメージだろうか。とにかく、この甘栗むいちゃいました一袋には、大変な労働と努力の結晶なのだろうと思いながら一気に大人食い(わざと、おなかが痛くなるまで食べる)をするのがまた良い。

土曜だか日曜だかすっかり忘れたが、また近所のアンドレ・シトロエン公園をぶらつく。日差しがいい感じでとても気持ちの良い日だったが、やはり空気が澄み切っていて薄ら寒い。もうすっかり秋です。

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ぼくとう綺譚。

さっき、漫画家の赤塚不二夫さんの訃報を見た。子供の頃、夕方になると東京12チャンネルで再放送されていた天才バカボンを見るのが楽しみだった。晩酌中の父親と一緒に見て笑っていたのを思い出す。大人になってからは、天才バカボン6巻箱入り漫画を買い、時々出してきて読むのが楽しかった。今回フランスに来る時には、おそ松くんの漫画も持ってきた。熱烈なファンというわけではないが、水木しげると赤塚不二夫という二人の漫画家の作品は私の生活には欠かせぬものである。まぁ、人はいつかは死ぬものであるから仕方ないけれど、やっぱり赤塚さんのような漫画家はもう出てこないんだろうな~と思うと寂しい限りである。

昨日は、朝寝坊をしたせいか、夜になってもなかなか眠くならず、久しぶりに永井荷風の本を読み始めた。この人も、身近にいたら煩そうなタイプの変人と思われるが、有名な”ふらんす物語”は何度読んでも面白く、何とも言えない寂しさというか虚しさというかそんな気分にさせられるのがまた良いのだ。彼の作品は、フランス語の翻訳が何冊か出ており、既に見つけて購入済みの”墨東綺譚”を今回は日本語で読んでいた。この墨という漢字には、本当はさんずいが付いている。江戸時代の文人が、墨田川の墨に勝手にさんずいをつけたという字なので勿論辞書には載っていない。

この本中、”作者あとがき”というのか、そういう文章が添えられており、昔の銀座の様子であるとか、当時の流行であるとかが書かれており大変興味深いのだが、そのなかで、アイスコーヒーについてふれている部分がある。永井荷風は、いくら暑い季節でも氷水以外の冷たいものは口にしないという。その冷水さえもなるべく避け、熱いお茶かコーヒーを飲むというのだ。家の母も(永井荷風と家の母を一緒くたにするのは失礼な話だが)、暑いからといって冷たいものをガブ飲みしたり、やたらとアイスを食べたりすると腹をこわすだけだと常々言っており、いつでも熱い緑茶を飲んでいるのを思い出した。

コーヒーというのは西洋から伝わったものであるが、その西洋人はアイスコーヒーなどというものは飲まないのだ。確かにこの国でもシャレたカフェで数回アイコーを見かけたような気もしないでもないが、コーヒーといえば99.9%以上の確率でホットと決まっているのだ。何故アイスコーヒーが西洋には存在しないのか?という永井荷風の説明が本当に分かりやすい。コーヒーというのはアロマを楽しむもので、冷たくしてしまえばその香気は全くなくなってしまう。それゆえ西洋人はわざわざ冷やして香りを飛ばすことなどしないということだ。西洋文化にも精通していた永井荷風にしてみれば、自慢げにアイスコーヒーを飲む日本人がアホっぽく見えたことだろう。確かにそうだよな~とつくづく思いながらも、ダメ人間の私は”そういえば久しぶりにアイスコーヒー飲みたいな~”と思ったのであった。

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非色。

ここ1週間突然に暖かくというか暑くなり、毎日何となくその辺に放置しておいた冬物などを洗濯し、コインランドリーに行く必要もなく、部屋干しで夕方にはカラっと乾くのが嬉しいということ位しか書くこともない、相変わらずさえない日々を過ごしている。

あまりにも暇なので、久しぶりに有吉佐和子の本を読んでみたりした。この本、どっかでもらったのか帰国した人にもらったのか何だか覚えてないけど、自分で買ったものではない。一度読んだらあまりにもリアルで怖かったので、心が弱っているときには読まないようにしているほどである。日本で初めて読んでいたのであれば”ふ~ん”ぐらいだったかもしれないが、この人種の入り混じる国に暮らしていると非常にリアルに内容が理解出来てしまい、必要以上に感情移入してしまうのだ。

戦争花嫁の話なんだけど、結婚した相手が白人ではなく、黒人だったということが話しのベースになっている。まず怖いのが、黒人ではなく”ネグロ”と書かれているのだ。何か知らないけどこの単語が怖くて怖くて。この国に多くいる黒人はアフリカ人がほとんで、彼ら同士の間では、”よう、元気か、ニグロ!”などという会話をしたりするらしいが、やっぱり私的には、発音してはいけない気がする単語である。

戦争が終わり、夫の黒人兵はニューヨークへ戻り除隊、妻と一人娘は日本を離れるかどうか迷い、結局ニューヨークにいる夫を訪ねるのだが、ここからがまた凄い。予想以上の貧しさ100%の暮らしなのだが、この妻がたくましく働き、ボコボコと子供を産み、そうこうしながら奥深い人種差別を垣間見ていくという感じなのだが、これを読むと子供もおらず、毎日ダラっと過ごし、”レストランで働くのは大変な割に給料安そう。あ~、何でこんな国来ちゃったかな~。”なんて思ってる私はまったく論外って思わされる。

国際問題や地理に疎い私は、宗教であるとか人種の違いであるとか植民地なんかの歴史なんかに関する知識はゼロに近く、この国で様々な人を見たり、夫から教えてもらったりして、恥ずかしながら最近になって何となく色々なことがわかりつつある。この本の中にも”ネグロ”のほかに、プエルトリコ人、イタリア人、ユダヤ人などが登場するのだが、確かに日本にいた時、例えば”イタリア系アメリカ人”なんて人が存在するなんて考えてみたこともなかった。そんなわけで、久しぶりにこの本を読み返し、生きるために働くとか、日本人と働くのはやめよう、なぜなら私もネグロなのだから、なんてフレーズがちょっと頭に残り、私ももう少しやる気を出さねばと思ったりするのであった。

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